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大阪高等裁判所 昭和31年(ネ)317号 判決 1960年12月20日

控訴人 ジエームス・ヒール

被控訴人 ヘレン・イヴ・ヒール (いずれも仮名)

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人と控訴人とを離婚する。

控訴人と被控訴人とのあいだの子アーサ・エリクに対する親権者を控訴人、ルース・セルマに対する親権者を被控訴人と定める。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じて五分し、その四を控訴人、その余を被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は、次に記載するもののほか、原判決に摘示するとおりであるから、ここにこれを引用する。

(控訴代理人の主張)

一  控訴人は、愛酒家であり、とくに、昭和二五年朝鮮戦争勃発の頃から、激務に追われて、社交も繁くなり、仕事は日々夜半過ぎに終つたので、疲労も甚しく、その結果、日本酒を愛用し、その飲酒量も増大し、昭和二七、八年頃、健康を害するにいたつたことは認めるが、被控訴人の主張するように、慢性酒精中毒であるとか、精神もうろうの状態にあつたわけではなく、とくに、現在は、完全に健康を回復している。

二  控訴人は、現在の住居に移つてからは、在京当時のような激務から離れ、飲酒を主とする社交もなくなり、完全に禁酒し、宏大な邸内に静かに居住して、その一生をかけた日本研究に専念しており、その研究に関連する内外人の学者やその家族等の来訪をうけて歓談するほかは、静かな読書および著述三昧の生活を送つている。

三  控訴人は、日本に、和漢の古書籍約二万冊および欧文図書(時価合計約一、五〇〇万円相当)、十数点の軸物(時価約六〇万円相当)を有するほか、英国に、欧米の図書約一、五〇〇冊(取得価額約二〇〇万円相当)および預金を有している。控訴人の現在の生活費は、日本政府から控訴人に支払われた戦時賠償金約四八〇万円をもつて支弁されているが、控訴人の日本に関する知識は、欧米人から高く評価されており、このため、欧米人から控訴人に対し、日本およびアジアに関する学術的原稿の校訂、研究資料の蒐集、書籍等の資料の指導、学術雑誌その他の調査等の依頼があり、その実質として、年約一〇〇万円の収入がある。将来収入の必要にせまられれば、内外大学にて講義を引きうけ、生活に必要な収入を得る十分の自信がある。なお、英国にある控訴人の実母ゼニアの財産(家屋、家具、株券、預金等)については、同人と協議の結果、同人の死亡のうえは、控訴人の長男アーサ・エリクに直接帰属するよう手続がされており、これにより、アーサの将来の生活は、一応保証されている実情にある。

四  控訴人は、京都来住以来、京都外語短大卒業の学歴を有する中島美智郎という青年を雇つて、これにアーサの勉学、遊戯、散歩、工作等の相手をさせており、アーサは、控訴人はもとより、知念操、右岩田等の愛護のもとに、勉学をつづけている。控訴人としては、アーサの将来の進学は、アーサみずからの好悪適否により決定すべきものであると考えておりさしあたり、常識のある円満な人格をつくることを目標として、健康および智能の発達にあらゆる配慮を払つている。アーサの学業の成績は、良好で、その肉体的智能的発育は、平均をはるかにこえるものであり、かつ、生まれ落ちてからずつと保姆知念操に養育されていて、実母(被控訴人)のことを早くから十分に知らないので、実母を恋い慕うことなど少しもなく、日々明朗、闊達に生活しており、不安は少しもない。

五  なお、控訴人および被控訴人の国籍に関する被控訴人の主張は、争わない。

(被控訴人の主張)

一  控訴人は、英国人であり、被控訴人は、もとカナダの国籍をもつていたが、控訴人と婚姻して、英国の国籍を取得した。

二  被控訴人は、現在東京都内の米人商社に勤務し、年間報酬四、二七〇ドル(邦貨約一五四万円)をうけているほか、朝日新聞社の英文記事に関する定期的労務の提供により、年四万六〇〇〇円を得ており、また、有価証券の配当収入は、年間九六〇ドル(邦貨約三三万円)である。被控訴人の資産は、カナダに、株券、公債二万九、〇〇〇ドル(邦貨約一、〇四四万円)、相続不動産一万四、二五〇ドル(邦貨約五一三万円)、家具その他貴重品四、〇〇〇ドル(邦貨約一四四万円)があるほか、日本に、宝石、貴金属約二、〇〇〇ドル(邦貨約七二万円)を有している。

(証拠)

被控訴代理人は甲第二七号証の一、二、第二八ないし第三三号証、第三四号証の一ないし二八、第三五ないし第三九号証を提出し、被控訴人本人の尋問の結果を援用し、乙第二三、第二四号証の成立を認め、乙第二五号証の一、二は不知と述べた。

控訴代理人は、乙第二三、第二四号証、第二五号証の一、二を提出し、証人岩田農夫男、同小林定子、同三上富子、同飯田敬二郎、同知念操の証言、控訴人本人の尋問の結果および検証の結果を援用し、甲第二七号証の一、二、第二八ないし第三二号証、第三四号証の一ないし二八、第三七、第三八号証の成立を認め、甲第三三、第三五、第三六、第三九号証は不知と述べた。

理由

一  まず、控訴人の本案前の主張について、判断する。

(一)  控訴人は、家事審判法第一八条第二項の規定にもとづき、本件を京都家庭裁判所へ移送するとの裁判を申し立て、被控訴人が本件について家庭裁判所に調停の申立をすることなく、直ちに本件の訴を提起したものであることは、その主張自体に徴して明らかである。そして、控訴人が英国人であること、被控訴人は、もとカナダの国籍をもつていたが、控訴人と婚姻して、英国の国籍を取得したものであることは、この点につき当事者間に争がない事実、原審における控訴人本人の供述(第一回)、真正に成立したものと認める甲第一、第三号証により、これを認めることができるが、外国人間の離婚についても、当事者の住所がわが国内にあつて、わが裁判所がこれにつき裁判権を有するものと解される以上、家事審判法に定める調停前置に関する規定も、これに適用があるものといわなければならない。けだし、調停による離婚にいかなる効力が認められるかは、国際私法上の法理(法例および当該準拠法の規定等)により決せられるべきことであるが、調停により夫婦関係の調整、とくに同居その他離婚を回避するについての合意を成立させる余地の存する以上、右の効力のいかんにかかわらず、調停手続を経ることをもつて無用のものとすることはできないからである。しかし、当事者双方の国籍が右のとおりであること、後記認定の事実関係にもとづく事案の性質、および、本件訴訟の経過に徴し、事件を家庭裁判所の調停に付することを適当でないと認めるから(家事審判法一八条二項但書)、控訴人の主張は、採用しない。

(二)  控訴人は、民事訴訟法第一〇七条の規定にもとづき、被控訴人において訴訟費用の担保を供すべきことを命ずべき旨を申し立てる。しかし、被控訴人が日本に住所を有することは、原審および当審における被控訴人本人の供述により明らかであるから、控訴人の右申立も、理由がない。

二  控訴人と被控訴人とが昭和二三年三月六日横浜の英国総領事館で英国法令の定めるところにもとづき婚姻をしたこと、右両人のあいだに昭和二四年五月二一日長男アーサ・エリク、昭和二六年八月二七日長女ルース・セルマが生れたことは、真正に成立したものと認められる甲第一号証、第二号証の一、二により明らかである。

三  そこで、まず、離婚原因の有無について判断する。

(一)  法例第一六条によると、離婚は、その原因たる事実の発生した時における夫の本国法によるべきものであつて、夫たる控訴人は、前記のとおり、英国人であるから、本件離婚原因の有無は、英国法により決すべきところ、原審における鑑定人田中和夫の鑑定の結果によると、英国法においては、かような事項は、特別の規定がある場合を除き、訴提起当時に夫が同法上のドミサイル(永久的住所)を有する地の裁判所がその法廷地法に従つて決すべきものとされていることを認めることができる。そして、原審および当審における控訴人の供述(原審は第一回)ならびに弁論の全趣旨によると、控訴人は、永住の意思(永久的生活の本拠とする意思)をもつて、昭和二三年以来わが国に居住していることを認めることができ、前記田中鑑定人の鑑定の結果によるも、かような場合控訴人はわが国に英国法上のドミサイルを有するものというべきであるから、法例第二九条の規定に従い、本件離婚原因の有無は、結局、わが民法の規定により決すべきものというべきである。

(二)  ところで、真正に成立したものと認める甲第一号証、第二号証の一、二、第三、第四、第六、第一〇ないし第一九号証、第二〇号証の一、二、第二一号証の一、七ないし三六、三九、四〇、五三、第二二ないし第二六号証、第三七号証、乙第一〇号証、原審における証人前田トヨ、同竹内リカ、同下川馨、同坂本あや、同小林清九郎、同川路光、同長沢美智子、同イー・アイ・マイテル、原審および当審における証人知念操の各証言、原審および当審における被控訴人本人および控訴人本人(原審は第一、二回)の各供述ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実を認めることができる。

「1 控訴人は、昭和六年来日し、諸学校で英語の教師をしていたが、その間訴外奈良岡まつ子と知りあいになり、数年間の交際の後、昭和九年春、英国法令の定めるところに従つて婚姻した。ところが、昭和一六年一二月戦争の開始とともに、夫婦とも抑留され、やがて釈放されて、英国に帰還することとなつたところ、まつ子は、わが国と交戦中なる英国に渡航することを好まなかつたので、控訴人は、やむなく、昭和一七年八月、単身、英国に帰つた。戦争中、控訴人は、ワシントンの英国大使館に勤務し、たまたま同大使館に勤務していた被控訴人と愛情を通ずるにいたり、昭和二〇年控訴人がロンドンに帰住するや、被控訴人も、その後を追つて、同地に移り住んだ。終戦後、まつ子は、控訴人が日本に帰ることを希望しなかつたが、控訴人は、かねて日本文化の研究を終生の事業と考え、日本に永住する希望をもつていたので、ロンドン・タイムスの特派員となつて、昭和二一年七月頃来日し、被控訴人も、その頃、東京の英国大使館の職員に転じて、来日した。控訴人のまつ子に対する夫婦の情愛は、すでに冷却していたので、離婚すべきことを求め、まつ子は、当初これを拒んでいたが、やがて嫌々ながら承諾するにいたり、昭和二三年二月協議による離婚の届出をした。そして、控訴人は、右離婚の効力につき在日英国官憲の確認を得たうえ、同年三月六日前記のとおり、被控訴人と婚姻をした。

2 婚姻当初、夫婦の間柄は、円満、平和であつて、被控訴人は、控訴人の新聞特派員としての活動にも協力した。ただ、先妻まつ子は、離婚についてなお不満をもち、手紙を出したり、電話をかけたり、控訴人方の使用人をそそのかしたりなど、いろいろの方法でいやがらせのような行動に出たから、このことは、控訴人および被控訴人の心理にも微妙な影響を与え、夫婦の関係にある暗影を投じた。とくに、前記のとおり、昭和二四年五月二一日長男アーサ・エリクが出生した後は、まつ子のいやがらせ的行動は、アーサの身辺にも及ぶような気配があつたので、被控訴人は、これらのことに関して、一そう神経質になつた。

3 控訴人は、元来、飲酒を好み、その酒量も少くなかつたが、昭和二五年に入り、控訴人は、マツカーサー司令部と政治上の意見を異にして、その疎外をうけるというようなできごともあつて、苦しい境遇におかれたばかりでなく、同年六月朝鮮における動乱のぼつ発後は、新聞特派員としての活動が激烈多忙となるのにともない、控訴人の酒量は、著しく増大し、しばしば大酒めいていし、また、記事の執筆、通信の発受等の関係もあつて、深夜に及び飲酒する等、生活も不規則となり、泥酔して乱暴をすることもあつた。一方アーサの養育については、その出生数日後聖露加病院看護婦監督川路光の推せんにより、控訴人方に雇われ住み込んだ沖縄出身の看護婦知念操が、専心これにあたつており、他にも日本人の使用人が数人雇われていたが、被控訴人においても、右アーサの出生後は、その育児や家事等にかかずらうこと多く、ために、控訴人の公的活動につき理解を欠く面もあり、また、アーサの身辺に関する前記まつ子の脅迫的言動におびやかされて、被控訴人は、アーサを家においたまま控訴人とともに外出することを肯しなかつたから、控訴人は、自然、単独で外出することともなり、控訴人の前記泥酔、乱暴行為ともあいまつて、夫婦間にやや疎隔を生じた。

4 昭和二六年六月、控訴人等は渋谷の六六四号住宅から渋谷区猿楽町の一四五号住宅に転居し、同年八月、被控訴人は、出産のため、東京の聖母病院に入院し、同月二七日長女ルース・セルマを出産して、同年九月退院した。その頃、控訴人は、日本文化研究の一端として、公事紀第一〇巻の飜訳に従事しており、その助手として、長沢美智子の協力を受けていたが、控訴人方日本人使用人の間において、控訴人と右美智子とのあいだに情交関係があるものとする風評があり(情交関係があつたことを認めるに足りる証拠はない。)、退院後この風評を耳にした被控訴人は、痛く不快の念を抱いたが、さらに、控訴人の大酒の傾向は、ますますつのり、乱暴して怪我をしたことや、めいていして嘔吐したこともあつて、昭和二六年一〇月中、東京の米軍病院に入院した。その前から、控訴人は、ロンドン・タイムス社とのあいだに、あつれきを生じていたが、右入院中、タイムス社からの罷免の問題を生じた。そこで、控訴人は、退院後、同年一一月下旬、日本を出発して、空路、ロンドンに赴いたが、その航空中、心神の過労のため、たえず幻覚に悩まされ、神経衰弱の症状を呈した。ロンドンにおいて、控訴人は、療養所に入院して右神経衰弱的症状の治療に努める一方、ロンドン・タイムス社解雇後における適職の獲得に奔走した。この間、控訴人と被控訴人とは、情愛のこもつた手紙および電報を交換して、たがいに励ましあいはしていたが、控訴人が出発前被控訴人のためにゆだねた生活資金は、被控訴人等の生活および控訴人の借金の返済その他当面に必要な事務を処理するには十分でなかつたから、被控訴人としては、ロンドンにある控訴人の健康および就職に関する心配のうえに、当面の経済的な問題につき心を労せざるを得ない立場に置かれ、昭和二七年二月被控訴人は、神経の疲労のため、約一週間入院加療した。なおルースの出生以来、アーサ、ルースの両名とも、知念が面倒を見ていた。

5 控訴人は、ロンドン・デイリー・テレグラフの特派通信員の職を得て、昭和二七年二月中旬、帰日した。しかし、帰日後も、控訴人の健康はすぐれず、神経衰弱の状態にあり、そのうえ、大酒の性癖は依然として、飲酒すると嘔吐した。たまたま、同年三月三日頃、控訴人は飲酒めいていして、被控訴人を殴打したので、被控訴人は、医師に連絡のうえ、控訴人を高度の神経衰弱患者等を収容する米軍第三六一病院に入院させた。かねてみずからも神経疲労の症状にあつた被控訴人は、控訴人の病状が悪化の一路をたどつていることを痛心し、かつは、二児の健康と生命に対する危険をも案ずるあまり、夫を東京の病院に入院させたまま、二児をともなつてカナダに赴くことを決意し、同年三月七日、控訴人に告げることなく、アーサおよびルースの両人とともに、空路、日本を出発した。控訴人は、間もなく退院して、このことを知り、衝撃をうけて、二、三日間はまた飲酒をつづけたが、知念等のとりなしもあつて、飲酒をやめ、医師小林清九郎の診療と知念の看護等により逐次健康を回復した。カナダに赴いた被控訴人は、トロントの友人宅、アパート、実兄宅等を転々としつつ、この間、あるいは直接控訴人に電話し、あるいは知念に通信して連絡をしたが、知念および控訴人の友人からの通信により、控訴人の飲酒の性癖が矯正され、健康も逐次回復しつつあることを知つて、夫の許に帰る気持になり、電報等で控訴人と連絡をとつたうえ、同年六月一二日、二児とともに、控訴人の出迎えをうけて、空路帰日した。たまたま、控訴人は、数週間前から、日本古美術品観賞の同好者数名とともに、九州方面に見学旅行の計画をたてていたので、被控訴人帰京の翌一三日東京を出発し、その際旅行中医師の勧告に従いビタミン注射をさせる必要があるという理由で、知念を同行した。数日後、控訴人は、知念とともに帰京したが、被控訴人は、他の使用人等から、被控訴人のカナダ旅行中知念は控訴人方であたかも主婦のように振舞つていた、という噂を聞知し、控訴人みずから、入浴の際知念の介添をうけたことがあることや、外出に際し知念を同伴して料理店に立ちよつたことなどを認めていること、控訴人が九州旅行に知念を同行したこと等を思いあわせ、かつは家庭内における控訴人および知念の態度、素振り等とも関連して、両人の関係に深い疑惑を覚えるにいたつた。

6 昭和二七年七月、控訴人は、公用のため、被控訴人とともに、数日間香港に旅行した(アーサ、ルースの両名は、東京に残り、知念が面倒を見た。)が、その前後を通じて、控訴人の飲酒の習癖は、また旧に復し、帰京後の同月二一日夜にも、飲酒めいていして外出したが、翌二二日午前二時頃帰宅し、使用人が控訴人の外出中なることを知らないで表戸に施錠しているのを知るや、激怒して、窓ガラスを破壊し、手指を負傷して、付近の赤十字病院で手当をうける、というようなできごともあつた。数日後、被控訴人は、深夜、控訴人が、書斎において、知念と性的関係にある状況を目撃した。被控訴人は、激怒して、知念を殴打したうえ、かつは神経の疲労を医し、かつは尼院長等に善後処置に関する意見を求めるため、翌早朝、同病院に入院したが、やがて訪れた控訴人と話しあつた結果、被控訴人は、二児を伴つて軽井沢に赴くこととした。数日後、控訴人も軽井沢に赴き、被控訴人と同じホテルに滞在して、話しあつたうえ、知念を解雇して家庭生活を再建すべきことをきめた。

7 控訴人は、同年八月末、軽井沢から東京に帰り、被控訴人との話しあいにもとづいて、知念に対し、解雇するのやむなき旨を告げ、同人も、これを了承して、控訴人方を去り、一時、東京都世田谷の親戚宅に身を寄せた。被控訴人は、同年九月一日、二児を伴つて、軽井沢から控訴人方に帰宅したが、その際控訴人は、飲酒めいていして、口論となり、夫婦とも興奮して、夜中長時間にわたり口論した。そのためアーサも寝つかず、長年接した知念の名を呼び求めた。控訴人は、二日早朝被控訴人に気づかれないようにして、アーサーを伴い、知念の身を寄せた同人の親戚宅にいたり、知念に対し、被控訴人の興奮がさめるまでの間アーサを預つてもらいたい旨依頼し、ついでまた、アーサを日光に同伴されたい旨依頼したうえ、控訴人みずからも、翌三日、日光に赴いてアーサおよび知念と落ちあつた。一方、被控訴人は、突然アーサの姿が見えなくなつたことに驚き、心あたりの方面を探させたけれども見つけることができず、控訴人からも明確な答を得られなかつたうえ、控訴人みずからも、右のごとく同家を出たので、被控訴人も、ルースの安否を気づかい、翌四日同人を伴つて、東京都内なるアンバサダー・ホテルに移り、家具類の一部も、トラツクで同ホテルに運んだ。その直後、控訴人は帰宅して、この状況を知り同夜はアーサおよび知念とともに自宅に泊つたが、数日後、右両名を伴つて、東京都内なる帝国ホテルに移つた。控訴人と被控訴人とは、それぞれ帝国ホテルとアンバサダー・ホテルに宿泊して、数回、夫婦の和合につき話しあつたが、話しあいはつかず、控訴人は、かねての計画に従い、同月下旬、京都市山科の現住住宅を賃借して、同年一〇月、アーサおよび知念とともに、これに移り住み、被控訴人は、家主の了解を得て、ルースとともに、旧住居に帰つた。被控訴人が来日を求めた同人の母は、十月上旬着京したので、控訴人は、生活の再建につき同人とも話しあつたが、話しあいはまとまらず、被控訴人の母は、同年一二月一一日、ルースをつれて、カナダに帰つた。被控訴人は、控訴人を相手方として、京都地方裁判所に、アーサの引渡を求める仮処分を申請し、その決定を得て、同年一二月五日および一二日の二回に執行吏により右仮処分を執行しようとしたが、その都度、控訴人に拒否されて、目的を達しなかつた。

8 その後、現在にいたるまで、控訴人は、アーサおよび知念とともに京都に居住して、著述等に従事し、被控訴人は、帰日したルースとともに東京に居住して、在京の米人商社で働いている。双方とも、今日では、婚姻の継続を希望していない。」

(二)の冒頭に掲げた証拠のうち、右認定に反する部分は、他の証拠とくらべて信用することができないし、他に右認定をくつがえすに足りる十分な証拠はない。

(三)  そして、(二)に認定したところによると、本件当事者間には、民法第七七〇条第一項第五号に定める「婚姻を継続し難い重大な事由」があるものというべきであるから、被控訴人の離婚の請求は、認容すべきである。

四  つぎに、当事者両名の間の子アーサ・エリクおよびルース・セルマに対する親権者の指定について説示する。

(一)  まず、この点に関する準拠法について考えるに、法例第一六条の離婚の準拠法に関する定めは、離婚そのものについてばかりでなく、これに伴いその効果として当然に生ずべき夫婦間の子の親権者の指定についても、適用があるものと解すべきところ、原審における鑑定人田中和夫の鑑定の結果によると、本件夫の本国法たる英国法においては、離婚の裁判に付随してする親権者の指定は、当該裁判所がその法廷地法にもとづいてすべきものとされていることを認めることができるから、法例第二九条に従い、この点についても、わが民法の規定により定めるべきである。もつとも、右田中鑑定人の鑑定の結果によると、外国裁判所による英国人たる子の親権者の指定が英国法上認められる場合においても、英国裁判所による親権者指定の権限を排除するものではなく、英国裁判所は、その判断により、右外国裁判所による指定と異なる親権者の定めをすることができることとされているものと解されるから、右英国法の趣旨からすれば、外国裁判所が反致の規定にもとづき法廷地法を適用して英国人たる子の親権者の指定をする場合にも、当該法廷地法の規定の趣旨に反しないかぎり、これに関する英国法の規定の趣旨を尊重してするを相当とする。

(二)  ところで、民法上、子の親権は、未成年の子を監護教育するためにその親に認められる権利義務の総称であつて、その性質上、子が健康かつ幸福に成長し、成人することを唯一の目標として設けられた制度というべきであるから、これを行使すべき者を指定するについては、子の利益と福祉を主眼として判断すべきことは、いうまでもない。英国法においても、もとよりこれと異なるところはない。ただ前記田中鑑定人の鑑定の結果によると、英国法では離婚にもとづく親権者の指定の場合においては、原則として、離婚原因のない当事者(無責配偶者)を子の親権者として指定すべきものとされていることが、認められるが、前述の親権制度の趣旨からすれば、英国法の右原則は、いわゆる有責配偶者がその性格、行状、生活等からして、実際上、これを子の親権者とすることが子の利益および福祉に合致しないことが多い、という趣旨に理解すべく(有責配偶者に対する制裁という観点をこれにふくませてならないことは、英国の判例も認めるところである。)かように解するときは、わが民法の解釈とその理を異にするものではないといつてさしつかえない。

(三)  本件について見るに、離婚にいたる経過は、三の(二)に認定したとおりであつて、控訴人と被控訴人との婚姻が今日の破局を見るにいたつたについては、当事者双方とも、全く責に帰すべき理由なきことを主張することはできないが、控訴人のがわにより大なる責任の存することも、また否むことのできないところである。しかし、右の(二)の後段において説示したところにもとづき、次の(四)において認定する事実をもあわせ考えると、八年前の別居の当時ならばともかく、今日における判断としては、控訴人が離婚につき被控訴人より大なる責任を有するという理由をもつて、控訴人を子の親権者に指定することは適当でないとすることはできないものといわなければならない。けだし、起訴当時直ちに離婚の裁判が行われこれに付随して親権の指定がされていたとすれば、あるいは原判決のようにアーサおよびルースの双方に対する親権者として被控訴人を指定することが相当であつたかも知れない、という意味において、被控訴人およびその子(とくに、被控訴人において事実上親権を行使しえなかつたアーサ)は、本訴訟の係属した過去数年間法律上あるべき地位の実現を妨げられていたと見る余地が存するわけであり、従つて、もしそのことによりなにらかの損害(たとえば、アーサと同居することができなかつたことによる被控訴人の精神的損害、被控訴人から親権の行使をうけることができなかつたことによるアーサの精神的、物質的損害)があつたとすればもとより所定の法条に従いその回復がはかられるべきであるが、そのことは、今日における親権の指定とはおのずから別個の問題に属し、親権の指定が、今日における状態を基礎として、将来における子の利益と福祉とのためにされるべきものである以上、右のごとき事件の経過は、単にその判断に際して考慮されるべき一の事情にすぎないものというほかない。本訴提起前アーサを被控訴人に引き渡すべべき旨の仮処分命令が発令されていたということも、右の判断を左右するものではない。

(四)  真正に成立したものと認める甲第九号証、第二一号証の三七、四八ないし五一、第二九ないし第三三号証、第三四号証の一ないし二八、第三五ないし第三八号証、乙第一、第二号証、第一四、第一五号証の各一、二、第一六、第一七、第一九、第二〇号証、原審および当審における証人三上富子(原審は第一、二回)、同飯田敬二郎(原審は第一、二回)、同知念操、同岩田農夫男、当審における証人小林定子の各証言、原審および当審における控訴人本人(原審は第一、二回)、被控訴人本人の各供述ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実を認めることができる。

「1 控訴人は、昭和二七年秋京都へ来てから、閑静な山科で、二階建洋風十数室の大きな家屋を借り受け、アーサ、知念とともに、岩田農夫男等数名の使用人を使つて生活している。数年来飲酒もほとんどやめ、神経痛の持病があるほかは、健康で、著述等に専念しており、日本政府から支払われた数百万円の戦時賠償金等もあつて、当面、相当高度の生活を維持するのに不自由をしていない。

2 アーサは、控訴人の愛護のもと、知念および岩田農夫男の世話により、健康かつ明朗に成長している。すでに満一一才に達し、京都市内の米人宣教師による学校に通学していて、成績も優秀である。控訴人は、アーサの成長については、細心の注意を払つており、またアーサは、控訴人を敬愛していることはもとより、幼時から世話になつた知念に親愛の情をもち、知念またアーサを母親のごとく愛護して、三者円満に生活している。

3 被控訴人は、東京都内の相当大きな家屋を借り受け、ルースおよび使用人とともに生活している。数年来健康にも恵まれ、米人商社に勤めて相当の収入を得ているほか、母国カナダにも資産を有していて、相当高度の生活を維持するのに不自由をしていない。

4 ルースは、被控訴人の愛撫をうけて、健康かつ明朗に成長している。本件口頭弁論終結当時満九年弱で、東京都内の米国系小学校一年生に在学し、成績も優秀である。被控訴人は、ルースの養育については、周到の注意を払つており、ルースも被控訴人を愛慕していて、家内は、円満である。

5 控訴人とルース、被控訴人とアーサとは、それぞれ過去約七年余の間、事実上別々に生活せざるを得ず、また、面接の機会もほとんどない結果となつている。」

(四)の冒頭に掲げた証拠のうち、右認定に反する部分は、他の証拠とくらべて信用することができないし、他に右認定をくつがえすに足りる十分な証拠はない。

(五)  およそ、未成年の子の健全な成長のためには、両親のそろつた監護をうけることが最も望ましいのであつて、父母いずれか一方の監護のみよりうけることができないとすれば、そのこと自体、子にとつて不幸のことであるといわなければならない。しかし、父母が離婚することとなつた場合には、そのいずれか一方のみの監護をうけることとならざるをえないのであつて、いずれの一方の監護をうけることとするも、所詮、両親の監護をうける場合に比し、子にとり不幸であることは、またやむをえない。ただ、その不幸のうちにあつて、父母いずれの監護をうけることが、さしあたりより好ましいか、という見地からのみ、親権者の指定をするほかない。かような見地からするときは、以上認定の事実関係のもとにおいて、アーサは控訴人の、またルースは被控訴人の監護をうけて、数年間、円満かつ幸福に成長しており、数年来ほとんど接していない他の親の監護のもとにおく場合に、より幸福となることにつき明確な見とおしの存しない以上、将来なんらかの事情の変更があつた場合は別として、さしあたり、アーサに対する親権者は控訴人、ルースに対する親権者は被控訴人と決めるほかはない。本件の経過に徴すると、被控訴人の心情には同情にあたいするものもあるが、親権者として指定されなかつた親であつても、親として子に接する機会を得させるよう、親権者において、できるかぎり努めるべきことは勿論であるし、子が自己の判断をもつて行動しうる年令に達した後は、たとえ親権者に指定されなかつた親であつても、親にして子に対する愛情を失わないかぎり、子もまたこれを敬愛し、その許に赴くであろうから、被控訴人の切なる心情を考慮しても、なお右の判定を左右することはできない。

五  なお、アーサ・エリクの引渡を求める被控訴人の請求は、右にのべた趣旨により、棄却すべきである。

六  以上のとおりであるから、被控訴人の本訴請求は、主文第二、三項掲記の限度において認容すべく、原判決は、これと異なる限度において失当であるから、変更することとし、民事訴訟法第九六条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 沢栄三 木下忠良 寺田治郎)

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